烏賊の塩辛が見に行った映画や展覧会の感想など、日々感じたことを徒然に書いていきます。


by ika-no-shiokara
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

<   2006年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

DVDで映画「ベルリンフィルと子供たち」を見た。

この映画は、ベルリン・フィルが2003年のシーズンに行った教育プログラムー「春の祭典」をベルリンの子供たちのダンスと競演するーを記録したドキュメンタリー。
ベルリン・フィルが音楽総監督兼主席指揮者にサイモン・ラトルを選ぶとともに「21世紀のオーケストラ」を目指すために始めたのが、この教育プログラム。ベルリンに住む様々な社会的階層、人種の8歳から高校生までの子供たちを集めて、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を踊らせようというもの。予想される通り、彼らはダンスの経験もなく、クラシック音楽も聴いたことが無い。多くの子供たちは言葉は悪いが社会の底辺で自信を無くして無気力な日々を過ごしている。そんな彼らにダンスを指導するのが振付師のロイストン・マルドゥーム氏。ロイストンは、子供たちに集中することを教え、ダンスを通じて人生を変えることができると説く。始めは子供たちだけでなく学校の教師たちもロイストンの指導に反発したり当惑するが、次第に子供たちがやる気と自信を持っていくことに気づく。
最後にベルリン・アリーナでの公演が成功裏に終わると、子供たちは達成感を胸に新たな人生を踏み出していく。

この映画に描かれているのは全て実話だけに、とても感動的だ。それにしても、世界最高のオーケストラであるベルリン・フィルが現状に決して満足せず「21世紀のオーケストラ」として生まれ変わることを望み、その実現手段としてこのような教育プログラムを選んだのはとても興味深い。この教育プログラムは決して子供たちのためだけに行っているのではなく、ベルリン・フィル自らが生まれ変わるために行っているのだ。子供たちを指導していたのはロイストン達振付師だけではなく、ベルリン・フィルのメンバー達も彼らに音楽的な指導を行った。(DVDに付属しているメイキング・ムービーには、バイオリニストやパーカッショニスト達が子供達を指導している映像が収録されている。)子供達を教えることを通じて、ベルリン・フィルの演奏家達も音楽の持つパワー、何かを作り上げることのすばらしさを確実に子供達から教えられたように思う。
ベルリンの置かれている経済状況は厳しく、ベルリン・フィルと雖も将来を安閑としていられないという事情もあるようだ。だが、その根底には「芸術は何のためにあるのか?」「芸術は苦しんでいる隣人に対して何の力があるのか?」という普遍的な問いがある。サイモン・ラトルは言う。「音楽は贅沢品では決して無い。食べ物のように、生きていくために必要なものなんだ。」
この言葉は十分過ぎるほどの説得力を持ってこの映画の観客にアピールしたと思う。そして、この映画を見た誰もが、自分ができることは何だろうと思って劇場を後にしたのではないだろうか。
[PR]
by ika-no-shiokara | 2006-02-26 17:12 | 映画

マーラー 交響曲第9番

鎌倉芸術館で、マーラーの交響曲第9番を聴いた。

チョン・ミョンフン指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。
コンサートの前に、公開リハーサルがあった。チケット購入者の他、小学生~高校生200名が無料で招待されたため、子供の姿が目立った。リハーサル自体は、同じ曲を2日前にオーチャードホールで演奏したばかりということもあり細かい指示が少しあった程度で、ホール(鎌倉芸術館)の響きに慣れることを主眼としているようだった。リハーサルの後半は、質問タイム。子供たちから驚くほど積極的に質問が出た。Q「マエストロはどうしてピアノをやめて指揮者になったんですか?」A「ピアノは難しすぎると思って指揮者になったんですが、最近指揮者もピアノに劣らず難しいことがわかってきました。」Q「一番好きな曲を教えてください。」A「難しい質問だけど、今日のマーラー第9番は歴史上最も優れた曲。ベートーベンの第9やブラームス第4と同様、この曲は芸術として第1級であるばかりでなく作曲者の人生そのものを現している。だからこの曲にしておきましょう。」Q「学校で校歌を指揮するんですが、指揮をするのに大切なことは何ですか?」A「みんなのテンポを合わせるのは当然ですが、何より大切なのはみんなの音楽的スピリットを引き出してあげること。」等々、マエストロが子供たちの率直な質問に時にユーモアを交えながら真摯に答えていた。

さて、コンサートだが、一言すばらしい演奏だった。弦楽器も管楽器も各パートがくっきりと浮き出ていて、大編成のオーケストラにもかかわらずよくまとまっていた。マーラーの交響曲第9番は、CDなどでは数え切れない回数を聞いているが、やはり実演で聴くに勝るものは無い。しかし何と巨大な曲なのだろう!
マーラーの曲を聴くたびに、「美」「狂気」「死」という言葉が心をよぎる。マーラーが精神を病んでフロイトの診断を受けたことは有名だが、これほど巨大な作品を作ろうとすれば気が変になってしまっても当然の気がする。ベートーベンを始め先人たちが交響曲を第9番までしか作れなかった歴史から逃れるために、第8交響曲のあとの作品に「大地の歌」というタイトルをつけたのだが、結局その後作成した第9交響曲の完成の翌年に彼は世を去り、宿命から逃れられなかった。私は普段、音楽を聴くときに人生の意味を求めたり、救いを探したりすべきではないと思っているが、この曲を聴くときにそんなことを一切忘れて聴けるかと言われれば否と言わざるを得ない。良くも悪くも、マーラーの人生の総決算だったのであり、またヨーロッパの近代音楽の頂点に位置するものだから。
そんな大変な作品を全身全霊で受け止めて演奏する人々。それを聴く人々。私もその中に入りこみ、渦巻く時間の流れに身を委ねた。最後に第4楽章が静かに終わったとき、静寂がいつまで続くかと思ったが、一瞬後には割れるような拍手に包まれていた。
[PR]
by ika-no-shiokara | 2006-02-19 23:58 | クラシック音楽
デーリアスの管弦楽曲集のCDを聴いた。

先週行った都響のコンサートで印象的だったディーリアスの「春初めてのカッコーを聞いて」の収録されている2枚組のCDアルバムを買った。ジョン・バルビローリ指揮で、ロンドン交響楽団とハレ管弦楽団の演奏が入っている。全てフレデリック・ディーリアスの作品だ。「イルメリン」前奏曲や「去り行くつばめ」、「フリッグの定期市」など、ディーリアスの主要な管弦楽曲が収録されており、ディーリアスの音楽を満喫できた。

ディーリアスはイギリスの作曲家と言っても、父親はドイツ系だし、フランス人の女性と結婚して長くパリ郊外の村に住んでいた国際人だ。でもイギリス人の彼に対する愛着心は濃いようだ。トーマス・ビーチャム、バルビローリといった有力な指揮者が彼の作品の紹介に情熱を傾けたという。
このCDでディーリアスの作品を集中的に聞いて見ると、それだけ情熱を持って迎えられたのがわかる気がする。とにかくロマンチックなのだ。かといって、過度に情に走るわけでもなく節度を持っているところが、イギリス人の上品な好みに合っているのかもしれない。ミルクをたっぷり入れた紅茶を飲みながら、冬の午後のひとときをディーリアスの音楽を聴きながら過ごした。
[PR]
by ika-no-shiokara | 2006-02-18 22:05 | クラシック音楽
サントリーホールに鳥の(トリノ?)コンサートを聴きに行った。

といっても、トリノ・オリンピックとは関係ない。都響のコンサートが鳥ずくしのプログラムだったのだ。(まさか本当にトリノ・オリンピックと掛けているわけではないと思うけれど、何故今鳥ずくしのプログラムだったのだろう?)
前半はまず、レスピーギ「組曲 鳥」。小編成のオーケストラのために書かれたこの組曲は、17世紀に書かれた作品を集めてそれに近代的な風味を効かせた作品。ハープやチェレスタを使って色彩豊かな仕上がりになっている。学生の頃彼の「古代舞曲とアリア」を演奏したことがあるが、同じ系列か。(古代舞曲とアリアは大好きだが、今日の曲も楽しめた。)
次にコダーイ「飛べよ孔雀による変奏曲」。ハンガリーの民謡に主題を取ったこの作品は、どことなく懐かしい感じがする。バルトークやヤナーチェクの音楽にある程度馴染んでいるからなのか、それとも日本の民謡にも通じる感覚があるのだろうか?

後半の最初は、ディーリアス「春初めてのカッコウを聞いて」。この小品は、不思議な色彩感のあるサウンドが面白い。ディーリアスはあまり馴染みがないけれど、よさそうなCDを探して聴いてみようかな。
最後を飾るのがストラビンスキー「火の鳥」。ロシアのこの天才がまだほとんど無名の時代に作曲した作品は、後の春の祭典にくらべればおとなしいがそこここに才気を感じさせる。今回のコンサートでは1945年版が使われており、それ以前の版よりもドライな響きになっているのが特徴とのこと。今日のコンサートを通じて比較的小編成で過度に情緒に流れずコンパクトな仕上げになっていた印象を受けたがそれとつながる感じだ。指揮者のヤン・パスカル・トリトゥリエ氏の志向なのだろうか?

アンコールのヨハンシュトラウス2世「クラップフェンの森」はカッコウ笛(?)を使ったユーモラスな曲。カッコウ笛が吹かれる毎に指揮者がユーモラスなしぐさをして観客の笑いを誘っていた。最後の最後まで鳥ずくしのプログラムに徹しているところがすごい。

音楽の中で鳥の鳴き声を表現するのは、そう珍しいことではないが、こうしてそのような曲ばかり集めて演奏するのを聴いたのは初めて。鳴き声を真似すること自体は意味がないが、主に管楽器を使ってその音色の魅力を引き出すひとつの趣向としておもしろいと思う。今日のコンサートで言えば、オーボエの独特な艶のある音色に惚れ惚れする場面が多々あった。
トリトゥリエ氏の母国フランスには、オリビエ・メシアンという鳥音楽(?)の大家がいるのだから、メシアンの曲も入れても楽しかったのではないだろうか。
(トリトゥリエ氏といえば父親のポール・トリトゥリエ氏は優れたチェリストで、学生の頃チェロを弾いていた私は東京文化会館で彼のコンサートを聴いて感動した。ヤン氏も確かそのコンサートで競演していたはず。ヤン氏も今や還暦直前の油の乗り切った年齢になった。)

週末の午後のひとときをサントリーホールで過ごすのは本当に贅沢な楽しみだ。やはり他のホールに比べても作りがゆったりしていい。(今日の編成だとややホールが大きい感じではあるが。)
[PR]
by ika-no-shiokara | 2006-02-11 22:17 | クラシック音楽

夏川りみ「彩風の音」

昨年出た夏川りみのアルバム「彩風の音」を聴いている。

夏川りみと言えば昨年末紅白歌合戦で4年連続「涙そうそう」を歌ったことが話題になったが、この新作のアルバムを聴いていると何故このアルバムの曲を選ばなかったのだろうと不思議なくらい魅力的な曲が並んでいる。
アルバムの宣伝に「超豪華作家陣書き下ろし」とあるように、多彩な作家が名を連ねる。「さようなら ありがとう」はコブクロの小渕健太郎。「シマダチ」はゴスペラーズの村上てつや。「ココロツタエ」は谷村新司。その他、上地等(BEGIN)、、宮沢和史(The BOOM)、森山良子など「沖縄系+涙そうそう系(?)」の人々や「小山薫堂+佐藤竹善」なんていうのもある。それだけ夏川りみが期待を受けているのだろう。
どれをイチオシにするか迷うが、やはり「シマダチ」か。来年の春には卒業して離れ離れになってしまう「僕たち」が、みんなで騒いで夜を明かした夏休みや回り道して帰った日々を決して忘れないと思う。ジンとくる歌詞とメロディに、夏川りみの澄んだ声が感動を呼ぶ。でも「愛は叶えるためにある」で始まる「しのぶ花」も良かったな。いや、「愛のチカラ」のハーモニーも捨てがたいかも。比較して何度も聞き比べるうちに、ますます迷うばかりだ。
[PR]
by ika-no-shiokara | 2006-02-10 00:17 | 邦楽