烏賊の塩辛が見に行った映画や展覧会の感想など、日々感じたことを徒然に書いていきます。


by ika-no-shiokara
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レクチャーコンサート「ピアノの歴史」の最終回「20世紀の幕開け」を聴きにに行った。

去年の12月から始まったこのレクチャーコンサートもいよいよ最終回となった。最初はチェンバロとほとんど変わらない楽器だったピアノも、20世紀初頭まで来ると今と同じような鋼鉄製の巨大な楽器として成熟していく。今回持ち込まれたのは1913年製のベヒシュタイン社製のピアノ。比較のために持ち込まれた現代のスタインウェイと、見たところあまりかわらないようだ。ただ、今回演奏したピアニストの小倉貴久子さんの話では、実際に奏き比べてみると意外なことに結構違いが感じられたという。現代のスタインウェイが技術的にまさっているいわばF1カーだとすると、100年前のベヒシュタインは、高音部のハンマーが小さいために非力だったり、鍵盤を押してから音が出るまでの間が遅くて重く感じられたりするものの、スタインウェイとは違ったやわらかい音色が出せるとのこと。今回演奏されたヤナーチェクからラベルに至るまでの曲は、このベヒシュタインが活躍した頃に作曲され、このベヒシュタインのスペックを想定して作られたと言える。モーツアルト程ではないにせよ、やはり作曲された時の楽器が適していると言えるのだろう。

今回講師を務めた安田和信氏は、まずウォーラースタインを引用してこの時代が世界の覇権を持つイギリスにアメリカ・ドイツが挑み、ドイツが敗れアメリカが勝利する過程であったことを述べる。さらに、この時代は近代以前の「エスニック共同体(エスニー)」が近代的な「国民」に統合されていく時代でもあった。だが、その統合の過程は国によって様々な形を取り、必ずしもうまく統合されずに国内に民族問題を抱えた国も多かった。

このような時代に生きた作曲家たちは、やはりこの時代の子であり、民族問題に様々な形でかかわった。本日取り上げられた作曲家は、ヤナーチェク、バルトーク、スクリャービン、ラフマニノフ、グラナドス、フォーレ、ラベル、ドビュッシーの8人。例えばバルトークはハンガリー人としての民族意識から、民謡の採集に力を注ぐ。ところが、1920年にトリアノン条約によりハンガリー南部がルーマニアに割譲されると、ルーマニア音楽研究のために「愛国心」の欠如を非難されたという。フォーレ・ラベル・ドビュッシーの3人のフランス人の作曲家達は、3人ともフランスにとっては周縁的な地方の生まれであった。その意味で、彼らもフランス国内の民族問題に無煙ではなかったが、3人ともパリに出て認められ、パリで亡くなっている。フォーレはレジオン・ドヌール勲章を受けて国民的英雄になった。この勲章も、国民国家の統合のために必要とされたものだった。

レクチャーコンサートはここで終わったが、私たちはその先の21世紀に生きている。20世紀には、その後クラシックコンサート用のピアノとしてスタインウェイに象徴されるような巨大なピアノが発達した。他方、ジョン・ケージのプリペアドピアノのように、既成のピアノに束縛されない楽器を求める流れがあった。また、電子楽器の発達や、録音技術の進歩など、音楽の在り方をも変えるような様々な技術進歩があった。今や「ピアノ」という言葉だけでは鍵盤楽器を論じることはできないだろう。レクチャーコンサートでは、「作曲された当時の楽器」について考察する観点が中心だった。録音によって人工的に音楽を作り出すことが主流となってしまった現代だが、さらにその先では、人間が楽器を使って音楽を演奏すること自体が珍しくなり、「作られた音楽」が音楽とされてしまうのだろうか?いろいろなことを考えさせられる。
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by ika-no-shiokara | 2007-12-09 23:47 | クラシック音楽
今谷明著「近江から日本史を見直す」(講談社現代新書)を読んだ。
近江から日本史を読み直す | 商品情報(書籍)

昨年、紅葉見物のために京都から滋賀県の湖東三山を巡るツアーに参加した。関東に住む私にとって、滋賀県というところは正直ほとんど知らない、小さな県という印象しかなかった。実際に湖東三山を訪れてみて驚いた。まず、歴史がとても古い。百済寺は606年聖徳太子の創建。金剛輪寺も奈良時代、聖武天皇の勅願で行基の開山。西明寺も9世紀に創建されたもの。次に、現在でこそ規模が小さくなってしまったが、織田信長の焼き打ちまでは壮麗な伽藍を誇った大寺院だったこと。なぜこの地にそんな大寺院が作られたのか、その時はあまりピンとこなかった。

本書を読んで、その疑問が解けた。今谷明氏は室町時代の研究で有名な学者で、足利義満が限りなく天皇に近いところまで行きながら天皇になれなかったことなどを手掛かりに、なぜ天皇が日本史を通じて存続し続けたのかを考えた著書などを読んだことがある。本書を手に取ったのも今谷氏の著書であること、上述のように近江にちょっと関心ができたことが動機だった。

今谷氏は、日本中世史を研究していると否が応でも近江の重要性を認識するという。船による交通が非常に重要だった古代・中世においては、琵琶湖をかかえる近江は交通の結節点であり、地政学の要であった。さらに肥沃な土地に富む近江は年貢高の多さで武蔵に次いで全国第2位だったという。後者は私にとっては意外な事実だった。

本書は、近江の視点から日本史を鳥瞰した内容になっている。大津京、壬申の乱、紫香楽宮、比叡山延暦寺などのキーワードを出されると、なるほどみな近江の国に縁が深い。中世の惣村の研究で一躍有名になった菅浦の荘も竹生島のそばの漁村だ。織田信長の安土城もしかり。悲劇の3姉妹を生んだ浅井氏は近江北部を支配したし、秀吉が最初に城をもらった長浜や石田三成の佐和山城もみな琵琶湖のそばにあった。江戸時代になっても、蝦夷との貿易で財をなした近江商人や幕末の開港時の大老井伊直弼など、人材の輩出は続いた。(本書には出てこないが、西武グループを起こし衆議院議長にもなった堤康次郎も滋賀県出身であることを思い出した。)

関東に住んでいると、この辺の地政学的な感覚は薄くなってしまうが、本書を読んで近江の重要性を認識するとともに、歴史には地理感覚も重要であることを再認識させられた。
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by ika-no-shiokara | 2007-06-17 11:50 | 歴史
みなとみらいホール(小ホール)でのレクチャーコンサート「ピアノの歴史」に行ってきた。

以前にも書いた通り、このレクチャーコンサートはピアノの楽器とピアノ曲の歴史を当時使われたピアノ(の復元版)を使用することにより明らかにしようとする意欲的な試みだ。前半の4回が終わり、今回から後半の4回が始まる。前半の第1回と同じように今回も本題のシューベルトの前に企画者である渡辺順生氏によりキー・ノート・レクチャーがあった。我々は今までの4回でベートーベンまで来たわけだが、ピアノの歴史にとって最後の大発明となったのが1822年にエラールが実現したダブル・エスケープメント・アクションだった。これにより、ハンマーが完全に元に戻る前に再び弦をたたく操作が可能となり、キーの連続打鍵ができることにより表現力が一層向上した。この翌年にシュトライヒャーが全く別の技術であるダウンストライキング・アクションを発明したが、時既に遅くエラールの技術を乗り越えることはできなかったという。

1時間の休憩時間では、これも第1回と同様レセプションルームに本日のピアノが持ち込まれ、楽器の説明や試演が行われ、実際にそれらのピアノを奏くことも許された。(ピアノが奏けない自分が悲しい!)

さて、本題のシューベルトだが、東京音大の村田千尋氏により講義が行われた。テーマの「シューベルトの2つのまなざし」というのはシューベルティアーデと呼ばれるサロンで友人の作った詩に対して作曲する時のまなざしと、ゲーテなど大詩人の詩に対して作曲する時のまなざしのことを言っている。前者が後者に比べていいかげん、ということではないのだが、友人から頼まれた時には即興的にすっと曲を仕上げてしまうシューベルトだったが、ゲーテを相手にする時には何度も推敲を重ねて曲を仕上げたと言う。

シューベルトの時代には、音楽を聴くことよりも音楽を演奏することが楽しみの中心であり、上流階級の屋敷では、サロンが頻繁に開かれ様々な分野の著名人が招かれて珍しい話が披露され、音楽もそのようなサロンに集まった人々の間で楽しまれた。シューベルティアーデもそのようなサロンの一種なのだが、特徴的なのはサロンは普通は主催者の名前を冠してよばれるのだがシューベルティアーデは招待される立場のシューベルトの名前を冠していることだ。それだけシューベルトが皆に愛されていたということだろう。代表作として、軍隊行進曲などが演奏された。どうもシューベルトというと、不遇のうちに若くして世を去ってしまった人というイメージがあるが(映画「未完成交響楽」のイメージか?)ちょっと違うかんじだ。

こんなサロンで楽しむために作曲した曲がある一方で、彼は芸術性の高いシリアスな曲も作っていた。当時の作曲家はオペラを作曲するか、ベートーベンのように器楽曲で大成するかの2つの道があったが、前者を断念したシューベルトはベートーベンの道を目指した。代表作として、亡くなった年に作られたピアノソナタ21番(D960)などが演奏された。ブレンデルのCDでよく聞いていたこの曲を実演で聴くことができて楽しめた。

シューベルトが使っていたピアノは、当時としてはやや古風になるウィーン式アクションのピアノで、彼はそれほど演奏に卓越していたわけでは無いようだ。(自作を演奏することも時に困難だった。)講師の村田先生は、博物館などに現存するピアノや当時の絵画・文献などを駆使してシューベルトの使ったピアノや彼のピアノの腕について考察を進めた。豊富な実例に基づく説明は非常に説得力に富んだものだった。

というわけで、今回も午後4時に始まったレクチャーコンサートが終わったのは午後8時半を回るという充実した内容だった。今後も期待できそうである。
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by ika-no-shiokara | 2007-06-16 23:43 | クラシック音楽